ウスタイベ千畳岩《ひどすぎる観光案内板》

おでかけ

毛ガニの水揚げ量が最も多いことで有名な枝幸町。

YOSAKOIソーランを見ている人なら「夢想漣えさし」で有名かもしれない。

道南の江差町と区別するため「オホーツクえさし」などとも呼ばれる。江差は「道南えさし」。

カントリーサインに牛とカニが描かれているのは、2006年、酪農が盛んな歌登町と対等合併したため。
歌登町のカントリーサインに描かれていた牛と、もともと枝幸町のカントリーサインに描かれていたカニの両方が描かれる形となった。

今回はその枝幸町の景勝地であるウスタイベ千畳岩へ。

初めて訪れたのは学生の時。北海道を海沿いに一周するだけの旅中にたまたま寄った。それまで「ウスタイベ千畳岩」なんて名称すら知らなかったが、その景色に驚かされ強く印象に残った場所。ただ札幌からだと遠いのでなかなか来ることができず久しぶりの訪問となった。


当時の写真と比較してみると、地面は整備され、柵も設置されているが看板はそのままのようだ。

看板の横の階段を下りていくと、畳を積み重ねたような景色が広がる。足元に注意しながら散策。

観光案内板を読むとウスタイベ千畳岩について理解することができるのだが、、、

とりあえず看板の痛みが激しいので文字に起こしておく。

ウスタイベ千畳岩
Usutaibe Senjyoiwa

「ウスタイベ」とは、アイヌ民族の言葉で、「入り江の林の川」を意味する「ウス・タイ・ベ」に由来するとされています。
見わたす限り畳を敷き詰めたような不思議な景色は、溶岩などが急に冷えて固まったときに起きる「柱状節理」という現象から生まれました。
続縄文時代(約2,000年前)や擦文時代(約1,000年前)の遺跡に囲まれており、先史時代の人々も同じ風景を眺めていたことでしょう。
枝幸町を代表する景勝地として、昭和43年に「北オホーツク道立自然公園」の一部に指定されています。

“Ustaybe” is the word of the Ainu people and is said to originate from “Usu・Thai・Pe” meaning “the river of the forest of the cove”.
The marvelous scenery like tatami mats spread as for as you could see was born from the phenomenon called “columnar joint” that occurs when lava etc.suddenly cools and solidifies.
It is surrounded by the ruins of the Jomon period (about 2,000 years ago and the rubbing era (about 1,000 years ago) and the prehistoric people would have watched same scenery.
As a scenic spot representing Esashi Town it was designated as a part of “North Okhotsk Dogen Natural Park” in 1968.

英語の説明、「どうしてこうなった?」レベルなんだけど。
すでに修正されている二か所は、「Esashi Town」の場所は元々「Sugano-machi」と書かれていたようだ。どこそれ?
「1968」の部分は「1964」になっていたらしい。

「Usutaibe」と「Ustaybe」が混在
「ウスタイベ千畳岩(Usutaibe Senjōiwa)」 と表記されていることが多いようだ。
かつての英語併記の観光案内では「Ustaybe」などの表記が使われていたのかもしれないが、そこは知らない。

この程度なら気にならないよ。

見渡す限り
「as for as you could see」→「as far as you can see」かな?

うん、この程度ならそれほど気にならないよ。

擦文時代
「rubbing era」???

は???

おそらく翻訳者は

『”擦文時代”…..?ん~、擦、擦、擦、…、”こする”だから”rubbing”でいいか!』

という感じかな。

ついでなのでここで擦文時代についても触れておこう
「擦文(さつもん)」とは、北海道特有の先史時代区分で、本州の「奈良・平安時代」とほぼ同時期(約7~13世紀)に存在した文化を指す。
縄文文化の流れを汲みつつ、本州の影響を受けた独自の土器文化が特徴。
縄文文化 → 続縄文文化 → 擦文文化(擦文時代) → アイヌ文化という流れの中で、アイヌ文化につながる重要な時代として知られている。

「擦文時代」と聞いて、「そんな時代知らないよ!」って思った方も多いはず。日本の中学・高校の歴史教科書は全国共通で学ぶことを前提にしているため、どうしても本州・中央政権(ヤマト政権)を中心にした時代区分で整理されている。
そのため縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥・奈良・平安時代、鎌倉時代 …と続く「本州基準の歴史区分」がメインで扱われ、北海道や沖縄の地域独自の時代区分は補足的に少し紹介される程度。
教科書に記載があるなら、せいぜい「北海道では本州と異なる文化が続き、擦文文化やオホーツク文化などがみられました。」ぐらいの感じの一文がある程度だろう。(まったく覚えていないけど。)
しかし、大学で考古学や北海道史を学ぶと必ず出てくる用語らしく、「擦文文化」は北海道本島に広く分布した文化である。他にも北海道北東部・サハリン方面に分布した「オホーツク文化」がある。この二つの文化が融合して後の「アイヌ文化」につながるというのが現在の定説のようだ。

「擦文」という名称は、土器の表面に文様を「擦って描く」ような特徴的な装飾技法から来ている。つまり「擦文」は擦った文様ということ。

英語では一般的に「Satsumon culture」、「Satsumon period」と表記されるのかな。

北オホーツク道立自然公園
「North Okhotsk Dogen Natural Park」???

は???

「北オホーツク道立自然公園」は「North Okhotsk Prefectural Natural Park」。

「Dogen」って何?!「Doritsu」にしてしまったのならまだ理解できるけど。

道元さぁぁん!

リライト版を作ろう

Usutaibe Senjōiwa

The name Usutaibe comes from the Ainu words Usu・Tai・Be,
which mean “the river in the forest of the cove.”

The remarkable rock formations, resembling countless tatami mats,
were created by a natural phenomenon called columnar jointing,
which occurs when lava rapidly cools and solidifies.

Around this area, archaeologists have found remains from the Epi-Jomon period (about 2,000 years ago)
and the Satsumon period (about 1,000 years ago).
The Satsumon period represents a stage in the development of the Ainu culture unique to Hokkaido,
so people of that time may have admired the same coastal scenery we see today.

Designated in 1968 as part of the North Okhotsk Prefectural Natural Park,
Usutaibe Senjoiwa is one of the most scenic spots in Esashi Town.

何か指摘あったらコメントしてください。

ここは「ウスタイベ千畳岩キャンプ場」というキャンプ場にもなっている。

開設期間は6月1日~8月31日で、訪れたのが9月だったのですでに終了していた。無料で利用でき、すごい人気のキャンプ場だそうだ。また機会があれば来てみよう。

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